マツダの歴史
ここではマツダの歴史についてざっと書いていこうと思います。
マツダのディーラー評判を比較するにしても、大元のマツダについて掘り下げないわけにはいかないですよね。
という訳でマツダ贔屓の私ですが、マツダが黒歴史としているものについても包み隠さず紹介していきます。
マツダは自動車とその部品を製造・販売事業を展開している、言わずと知れた自動車メーカー。
本社所在地は広島県。
はじまりは、1920年。コルクを生産する「東洋コルク工業株式会社」として創業しました。
後の1984年に「マツダ株式会社」に改称しました。
この長い歴史の中で社長は16代、代替わりしています。9代~12代までは日本人以外が社長を務めていますが、これは途中でフォードの傘下に入ったためです。
では、なぜフォードの傘下に入ったのかを書いていきましょう。
5チャンネル体制
マツダにはかつて、車の販売において5チャンネル体制を敷いていた時代がありました。
結果的にこの体制は失敗に終わり、現在の販売体制が確立されたわけです。マツダにとって黒歴史とも呼べる過去のようですが、マツダファンの私としては、それらを含めて「マツダ」なので、記事にしていきたいと思います。
マツダは1988年、経営体質改善のため、国内販売を倍増させるための啓作を策定しました。
その時すでにあった、マツダ、マツダオート、オートラマに加えて1989年にオートザムとユーノスの独自ブランドと販売網を新しく設立したのです。
1991年、マツダオートの名前をアンフィニに改称、高級車専門店としました。
【5チャンネル体制のそれぞれの特徴】
マツダ店…………従来のベーシックな車
オートラマ店……フォード車
アンフィニ店……高級車とスポーティーな車
ユーノス店………斬新な高級車
オートザム店……軽乗用車
こんな感じで5チャンネルの販売体制となり、経営体質改善のために奮闘していたマツダでした。しかし、急にモデル数が増加したことによるブランドイメージの混乱(ブランドのイメージは大事ですよね・・・)、それに伴い研究開発費などの増大に繋がり、時を同じくしてバブル崩壊。景気の低迷の影響をモロに受けたのでしょう、結果的に5チャンネル体制失敗に終わってしまいました。
結局、1996年には再びマツダブランドに一本化されました。中古車査定価格が下落し、他社で下取りに出そうにも高く売れないためにマツダ車以外に乗り換えられないような状態に陥り、ブランドイメージの低下と(ブランドイメージは以下略)販売不振など悪循環が続き、結果フォードの傘下に入ることになりました。
そこで、今のマツダのキャッチフレーズ「Zoom-Zoom」が使用されるようになり、スポーティーなブランドイメージ構築へと戦略を進めていきました。メーカーとディーラーが一体となり、ブランドイメージの向上に努めていったのでしょう。
フォード傘下に入る前よりフォードと提携していたマツダでしたが、リーマンショック後フォード離れが進み、2015年には完全にグループから独立しました。
マツダはトヨタと広い分野で提携することに合意し、フォードは持っていたマツダの株を全て売却。フォードとマツダの36年にわたった資本提携が終わりを告げたのでした。
SKYACTIV TECHNOLOGYを取り入れた2011年以降は、日本のみならず世界で売り方を改革しようと進行しています。いわゆるインセンティブの削減、正価販売を宣言。値段ではなく、マツダの「商品力」で勝負していくとのこと。
2014年、新しいコンセプトを掲げた販売店である「新世代店舗」はデザイン本部が監修しています。順次展開することを公表しました。
そして2016年には「マツダブランドスペース大阪」を開設。直営のショールームであり、車づくりやマツダブランドを体現しています。
このマツダブランドスペース大阪、スタイリッシュなのはもちろんのこと、“壁に車をかけた”ような斬新な展示がかなり目を惹きます。
一度実際に訪れてみたいですね。
と、このようになんやかんやあって今のマツダになったわけです。失敗からの改善・改革への道のりは平たんではなかったと思いますが、結果的にかなり良い方へ向いたのではないでしょうか。
私も今のスポーティーなブランドイメージのマツダに魅かれたわけですし、企業努力は成功したといっても過言ではないでしょう。
国産の他社や外車に憧れている方も多いですが(管理人の父親もベンツに乗りたいとまだ言っています)私はこれからもマツダ一本で行くつもりでいます。
今までマツダに乗ってきた安心感や、ディーラーとの付き合いもありますしね。